はじめに
身近でありふれた現象の中にも,複雑で予測不可能な振る舞いを示す現象が多数存在する.ここでいう「予測不可能」とは,同じ初期値に対する解がランダムで法則性を有していないことを意味するのではなく,決定論的な系であるにもかかわらず,初期値の僅かな誤差によりその後の振る舞いが大きく異なる性質を持つため,誤差の発生する計算機等を用いた数値解析による予測が意味をなさず,現実的に予測を行うことができないことを指す.
気象学者Lorenzは,大気循環をモデルとした方程式を計算機で計算した際,同じ初期値であるにも関わらず,得られる解が毎回異なることに気付き,これは計算機で計算する際のわずかな丸め誤差により生じた現象であることを理論的に示した[1].単純で決定論的な微分方程式が初期値鋭敏性を持つというこの発見は,力学系の研究者たち大きな衝撃を与えた.これを発端として,このような性質を持つ力学系を「カオス」と総称し,カオス理論研究が盛んになっていくことになる.
カオス現象は物理学や生物学など様々な分野において数多く報告されている身近な現象である.たとえば,脳神経において観測できるカオス現象である,ヤリイカ巨大軸索における強制振動系のカオス[2][3]や,van der pol振動子における引き込み周波数近傍で発生するカオス現象[4]などが挙げられる.こうした身近なカオス現象の発生原理を探ることは非常に重要であるため,単純なカオスモデルを提案し,その発生原理を探っていく手法がよく用いられている.
最も単純なカオスモデルは,一次元差分方程式の形で表すことのできるロジスティック写像[5]であろう.ロジスティック写像の研究により,「分岐」という現象が発見された.これは,ある分岐パラメータと呼ばれるパラメータの値を徐々に大きくしていくことで,ある1つの周期解が複数の周期解に分かれる現象を指す.ロジスティック写像は無限回の周期倍分岐が発生することが示され,同時に周期解の解析がカオス解析において重要な役割を果たすことが示された.
また,Smaleの馬蹄写像[6]もカオスの発生原理を語る上で無視することはできない.馬蹄写像は,「縮小」と「拡大」という2つの操作によって構成される写像であり,カオスが発生することが示されている.馬蹄写像の研究成果により,カオスの発生のためにはこの2つの構造を有していることが必要であると一般的に考えられている[7].
一方で,「正三角形折り畳み写像」は厳密な意味での「縮小」の構造を持たないにもかかわらず,カオスが発生することが示されている[8].また,一般的にカオス現象は非線形微分方程式によって表現されることが多いにに対し,正三角形折り畳み写像は区分的アファイン(PWA)モデルで表される.非線形モデルを区分的アファイン(PWA)モデルで近似する研究は知られているものの[9],元から区分的アファイン(PWA)モデルで記述されるモデルは他にあまり例がない.このように,正三角形折り畳み写像は一般的に言われているカオスモデルとは異なるモデルであり,これを考察することは,現時点では解明できないカオス現象に対し,その発生原理を与える契機となり得ることが予想される.
正三角形折り畳み写像は「折り畳み」と「拡大」という2つの非常にシンプルな操作によってカオスを発生させることのできるモデルである.このモデルについて深く考察するため,先行研究では「拡大」の操作において「拡大率」という(分岐)パラメータを導入して分岐解析を行い,カオスが発生しない拡大率が存在する可能性が示唆されている[10].
ところで,もう一方の操作である「折り畳み」は厳密な意味では「縮小」とは異なる構造であるのだが,カオスの発生に影響を与えているのは明らかである.そこで,「折り畳み」に角度θという(分岐)パラメータを導入して分岐解析を行い,カオスの発生との関連性を見出すことを本研究の目的とする.
先行研究
カオス現象
研究者によってカオスの定義は異なるが,カオス現象と呼ばれるものには共通した性質がある.具体的には,相空間内のある不変集合において力学系がカオス的であるとは,
の性質を力学系が持っていることである.カオスの具体的な定義に,リ・ヨークの定義[13]やDevaneyの定義[14]がある.先行研究では正三角形折り畳み写像がDevaneyの意味でカオス的であることを示している.Devaneyの意味でカオス的とは,力学系が
の性質をもつことである.
本研究においてもこのDevaneyの意味でのカオスの定義を用いて,カオス性を有するか否かを調べていく.
正三角形折り畳み写像
本研究では,「三角形折り畳み写像」と名づけられたカオス現象モデルを扱う.この写像は,正三角形上の任意の1点に対し,
という,主に「拡大」「折り畳み」という2つ操作のみでカオスを発生させるという非常にシンプルな画期的なモデルである.
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図1: 正三角形折り畳み写像 |
操作2は60度回転,180度回転,鏡像変換などの複数の方法が考えられるが,これらを網羅的に調べることは本質的ではない.なぜならば,正三角形折り畳み写像は折り畳みと拡大という2つの簡単な操作の組み合わせであるにもかかわらず,カオス的な挙動を示すことが重要であると考えられるためである.そこで図2の同値類を導入する.
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図2: 同値類 |
すなわち,正三角形領域上に二点を取り,どちらか片方の点に重心周りにおける120度回転,重心周りにおける-120度回転,重心を通る軸における鏡像変換のいずれかを作用させることでもう一方の点に重なるとき,これらの二点を同値であると見なしている.正三角形折り畳み写像の定義域を図の領域Dに制限し,かつ図1の操作の最後に「領域Dに属している同値な点に移す操作(図3)」を加えれば,領域Dが正三角形折り畳み写像の定義域となり,値域となる.
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図3: 同値類による点の移動 |
つぎに正三角形折り畳み写像を数式によって表現する.まずは図4のように座標軸を設定する.領域Dは正三角形折り畳み写像における定義域であり,値域である.
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図4: 正三角形折り畳み写像における座標の設定と区分の表示 |
このとき,正三角形折り畳み写像は区分Affine変換であり,定義域は図4のように4つの領域に分割され,それぞれの領域に対して別々のAffine変換が割り当てられる.このようにして定義された正三角形折り畳み写像はDevaneyの意味でカオス的であることが示されている[8].
また,先行研究[10]では,2つの操作のうち「拡大」を一般化し,図1の操作3において拡大率をa倍にした場合を考察することで,カオスが発生しない拡大率が存在する可能性を示唆している.
研究内容
正三角形折り畳み正射影写像
先行研究では,「拡大」におけるカオス性を調べるため,(分岐)パラメータaを導入した.本研究では,「折り畳み」におけるカオス性を調べるため,新たな(分岐)パラメータθを導入する.なお,本研究においては拡大率は2倍で固定の値とする.
角度θの導入にあたり,「折り畳み」を以下のように解釈することとする.図5のように,三角形を折る際,角度θで相似比1/2の三角形を固定する.そして,折って固定したその正三角形上の点に関して正射影を与える,という一連の操作を「折り畳み」と解釈する.
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図5: 正三角形折り畳み正射影写像 |
図2の同値類を用いて正三角形折り畳み正射影写像を数式で表現すると,正三角形折り畳み正射影写像も区分Affine変換であり,図6のように角度が小さい場合,大きい場合で領域の区分が場合分けされて,それぞれ4つ,2つの領域に分割され,それぞれの領域に対して別々のAffine変換が割り当てられる.
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図6: 正三角形折り畳み正射影写像における座標の設定と区分の表示 |
正四面体写像
図7で示す特殊な角度において,正三角形がぶつかり合い,正四面体を構成する.このときの正三角形折り畳み正射影写像を特別に「正四面体写像」と名付ける.正四面体写像は2つの領域に分割され,それぞれの領域に対して別々のAffine変換が割り当てられる.
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図7: 正四面体写像とその座標の設定と区分の表示 |
記号力学[16]を導入することにより,正四面体写像の周期軌道の導出することができた.また,正四面体写像がDevaneyの意味でカオス的であることを示した.
角度の大きい場合における正三角形折り畳み正射影写像
角度の大きい場合,すなわちあまり折り畳まない場合,図8で示した赤い領域(開集合)においては,周期点が存在し得ないことが示された.
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図8: 周期点の存在しない領域 |
ゆえに周期点が稠密であるという条件が否定され,角度の大きい場合の正三角形折り畳み正射影写像はDevaneyの意味でカオス的ではないことが示された.
目標
拡大率に関して,カオスが発生するか否かを理論的に示したい.また,角度に関しては,角度の小さい場合のカオス性を示したい.
最終的な目標は,拡大率,角度を組み合わせることにより,正三角形折り畳み写像の不安定な周期点の安定化を図ることにある.具体的には,Delayed Feedback Control[17]による制御,あるいはOGY法による制御[18]を考えている.
参考文献
[1] Edward N. Lorenz, "Deterministic Nonperiodic Flow," Journal of the Atmospheric Sciences, 1963.
[2] 相原一幸, カオス--カオス理論の基礎と応用, サイエンス社, 1990.
[3] Degn, Hans; Holden, Arunn V.; Olsen, Lars Folke, Chaos in Biological Systems, Springer-Verlag New York, 1987.
[4] M. L. Cartwright, "Balthazar van der Pol," Journal of the London Mathematical Society Soc. 35, pp. 367-376, 1960.
[5] May, R.M., Simple mathematical models with very complicated dynamics, Westview Press, 1976.
[6] Stephen Smale, "Differentiable dynamical systems," Bull. Amer. Math. Soc. 73, pp. 747-817, 1967.
[7] 國府寛司, 力学系の基礎, 朝倉書店, 2000.
[8] 石川徹也, 早川朋久, "正三角形折り畳み写像の示すカオス的振る舞い," 第12回制御部門大会, 2012.
[9] Gleison F. V. Amaral, and Christophe Letellier, and Luis Antonio Aguirre, "Piecewise affine models of chaotic attractors: The Rossler and Lorenz systems," An Interdisciplinary Journal of Nonlinear Science, Chaos 16, 2006.
[10] 傍島駿介, 早川朋久, "正三角形折り畳み写像が示すフラクタル性と分岐," 第13回制御部門大会, 2013.
[11] Wolf, A. and Swift, J.B. and Swinney, H.L. and Vastano, J.A., Determining Lyapunov exponents from a time series, Elsevier, 1985.
[12] 高橋陽一郎, カオス, 周期点, エントロピー: 一次元力学系のエルゴード理論, 日本物理學會誌, vol. 35, no. 2, 1980.
[13] Li, T.Y. and Yorke, J.A., Period three implies chaos, JSTOR, 1975.
[14] Robert L. Devaney, An Introduction To Chaotic Dynamical Systems, London, 2003.
[15] Guckenheimer, J. and Holmes, P., Nonlinear Oscillations, Dynamical Systems, and Bifurcations of Vector fields, Springer-Verlag New York, 1983.
[16] Robinson, C., Dynamical Systems: Stability, Symbolic Dynamics, and Chaos, CRC, 1998.
[17] Just, Wolfram and Bernard, Thomas and Ostheimer, Matthias and Reibold, Ekkehard and Benner, Hartmut, Mechanism of time-delayed feedback control, APS, 1997.
[18] Chen, G. and Yu, X., Chaos Control: Theory and Applications, Springer, 2003.