ネットワーク上での強弱関係のある2情報の拡散現象

上田健太郎

はじめに

 社会学や経済学などの分野で,噂・情報の伝播や流行の拡散などの社会的拡散現象の研究が行われている.噂や情報の拡散現象の解析がなされることで,クチコミの解析やさらにはマーケティングなどへの応用が期待されている.個体同士のつながりで表現されるコンタクトネットワーク上の拡散現象は,複雑で解析が不可能な対象と長年考えられてきた.しかし,近年の複雑ネットワークに関する研究の発展に伴い,徐々に社会的拡散現象の過程が解明され,現実世界の複雑で大規模なネットワーク上での社会的拡散現象を解析することが可能になってきている.

 社会的拡散現象の1つに情報の拡散がある.情報の拡散は疫学における伝染病の拡散と類似している点が多く見られる.最も古典的な情報の拡散モデル(DKモデル)がDaley-Kendallによって提案された[1].このモデルは疫学におけるSIRモデルのアナロジーである[2].DKモデルでは,人間の集合をignorant(情報を聞いていない),spreaders(情報を広めている),stiflers(情報を既に聞いているが,広めるつもりがない)の3つのグループに分割する.それぞれの役割は,SIRモデルにおけるsusceptible,infective,recoveredと同じである.spreadersの割合が大きいと一定時間経過後には情報を聞くノードが多くなる.またstiflersの割合が大きいと一定時間後にも変化があまりおきない.などの推測をすることが出来る.その推測により各集合が占める割合の時間変化を表現する.すなわち,全人口の中でそれぞれのグループが占める割合間の関係により,時間変化を表現する.また,DKモデルを拡張したモデルが様々考案されている[3].

 DKモデルの短所として,大きなネットワーク上での情報拡散現象を扱得ないことを挙げることができる.小さく単純なネットワークでは,DKモデルにより情報の拡散現象が表現できることが知られている.インターネットが普及する以前は,情報は直接的な会話により拡散した.しかし,インターネットが普及したことにより,E-mailやインスタントメッセージが一般に利用されるようになり,より速く多くの人に情報を拡散する事が可能になった.そのため,インターネットは非常に大規模で複雑であり,DKモデルによる解析は不可能である.例えば,近年のSNS(Social Networking Service)は,数億ノードの巨大で複雑なネットワークを構成する[4].そのため,複雑ネットワーク上で情報が拡散する現象の解析が研究されている[5].

 DKモデルのもう一つの短所として,1個の情報の拡散しか扱えないことを挙げることができる.実社会には無数に情報が存在し互いに関係しあう.例えば,2つの情報が矛盾していたり,参照したり,否定したりする.近年では,ネットワーク上で複数の情報が拡散する現象が研究されている[6].文献[6]では,ネットワーク上で2つの情報が拡散する現象について解析している.2つの情報に対して,同時に聞いたときに片方を信じるという関係を設定している.そして,情報を聞いた人間が交友関係のある人間の一部に情報を伝えるというモデルを構築し,拡散現象を解析している.

 情報の1つの形として,デマがある.2011年3月11日に東日本大震災が発生し,様々なデマが発生し話題となった[7].印象的なデマについて説明しよう.地震の影響で,千葉県にある製油所が爆発し,大火災が発生した.この火災を受け,「有害物質を含んだ雨が降る」というデマが流行した.この情報は,化学の専門家でない限り,否定する事が難しい.また,この情報を聞いたときに,己の友人に伝えたいと思わせるような内容である.そのためか,SNSやチェーンメールにより多くの人に伝えられた.しかし,製油所を所有する会社が公式Webサイト上で,上記のデマが誤りであることを公表した.公表を境にデマは収束に向かった.一度でも公式Webサイトを見た人は,デマを聞いても信じることはなく,デマを伝えてきた人に公式Webサイトを観るように伝える.すなわち,デマと訂正情報の間には何らか関係があると考えられる.

本研究

 製油所の例では,デマとその訂正情報の2個の情報が拡散する.最初にデマを流し始める人がいて,徐々に拡散され,訂正できる人(製油所)に到達し,訂正情報が拡散される.本論文では,このような2個の情報の関係を強弱関係と呼ぶ.そして,強弱関係のある2個の情報の拡散現象を解析する.一般的に,デマを信じることは不利益であると考えることが出来る.そこで,十分時間経過後にデマを信じている人の割合,訂正情報を信じている人の割合,デマも訂正情報も受け取っていない人の割合について解析を行う.

情報の強弱関係

 本研究では,前述の誤情報(デマ)と訂正情報の関係を一般化し,強弱関係と呼ぶ.まず,誤情報と訂正情報の関係を整理しよう.信じている情報の遷移を表現すると,図1となる.何も信じていない人間は受け取った情報を信じる.誤情報を信じている人間は,誤情報を受け取っても,信じている情報は変化しないが,訂正情報を受け取ると訂正情報を信じる.また,訂正情報を信じている人間は,どのような情報を受け取っても訂正情報を信じ続ける.誤情報は,訂正情報により上書きされるため,訂正情報を強い情報,誤情報を弱い情報とし,2情報の関係を強弱関係と呼ぶ.以後は,強い情報Xと強い情報Yの拡散現象について話をすすめる.

図1: 誤情報と訂正情報の関係

情報拡散モデル

 次に情報拡散モデルについて説明する.まず,ノードを人間,エッジを交友関係とするネットワークを想定する.ネットワーク上で,2個の情報が拡散する.本研究では,情報拡散モデルとし離散時間システムの確率モデルを扱う.情報はメッセージの送受信により伝達される.各ノードは,次のルールに従う,
  1. メッセージを受信すると次のステップでメッセージを発信する.
  2. メッセージを受信すると,状態遷移図に基づいて信じる情報を更新する.
  3. メッセージを発信すると,隣接ノードの一部に伝播確率pXまたはpYで発信ノードが信じている情報のメッセージを送信する.
ただし,情報Xの伝播確率をpX,情報Yの伝播確率をpYとする.

確率モデルシミュレーション

 上記の拡散ルールにしたがって情報が拡散されるときの,十分時間経過後の状況を見てみよう.各図は,情報X・Yともに信じていない人の割合,情報Yを信じている人の割合,情報Xを信じている人の割合を表している.シミュレーション結果から,情報Yを信じている人の割合がほぼ0であることがわかる.次に,情報X・Yともに信じていない人の割合,情報Xを信じている人の割合の図を見てみる.横軸に平行に各割合を見てみると,pX=0.25付近でpYの値によらず,割合が急激に変化することがわかる.以後,割合が急激に変わる縦軸に平行な線のことを「不連続線」と呼ぶことにする.この原因を全ての確率変数を独立として扱う近似モデルを用いて解析する.

図2:確率モデルでの十分時間経過後の状態
横軸は強い情報の伝播確率,縦軸は弱い情報Yの伝播確率
何も情報を信じていない人,情報Yを信じている人,情報Xを信じている人の割合

割合が急激に変化した理由

 上記確率モデルの十分時間経過後をシミュレーションすることにより,ネットワークは次の2種類の状態となりうることがわかる.
  1. メッセージの送受信がない状態
  2. 全てのノードが強い情報Xを信じていて,情報Xのメッセージが送受信されている状態
十分時間経過後にネットワークが2種類の状態のいずれにあるかによって,横軸に平行に各割合を見たときにpX=0.25付近でpYの値によらず割合が急激に変化していると考え,状態1の安定性について解析をおこなう.

メッセージの送受信がない状態の安定性

 近似モデルを用いた解析・数値シミュレーションにより,不連続線の左側では,メッセージの送受信が無い状態が安定であることがわかる.また,不連続線の右側ではメッセージの送受信がない状態が不安定となることがわかる.すなわち,不連続線を境にしてメッセージの送受信がない状態の安定性が変化している.ある状態が安定であるときに,十分時間経過後にその状態となることが示唆される.すなわち,安定性の変化が,不連続線の生じた理由と考えることが出来る.

結論

 本研究では,東日本震災時のデマと訂正情報を基にモデルを構築し,その解析を行った.構築した確率モデルをシミュレーションすることにより,弱い情報Yの伝播確率を固定して強い情報Xの伝播確率を変化させて,各情報を信じている人の割合を見てみると,不連続に値が変化する点が存在することがわかる.十分時間経過後の状態として,2種類の状態を考える事が出来ることから,その中の1つの状態の安定性解析により,不連続線が生じることを示した.

今後の方針

 実際の情報拡散現象では,新聞やテレビ等のマスメディアの影響を考慮する必要がある.そのため,より複雑な現象となることが予想される.また,本研究では,伝播確率を時不変な定数として扱った.そのため,強い情報Xの伝播確率が大きな場合に,十分時間経過に情報Xの送受信が行われる状態に収束する現象が生じた.しかし,実際の情報拡散現象を見たときに,ある情報が永続的に話題となることが考えにくい.以上のように,本研究で用いたモデルは実社会の情報拡散現象と乖離がある.今後の課題として,この乖離がどの程度あるのか解析が必要である.

参考文献

[1] D. J. Daley and D. G. Kendall, "Epidemics and rumours," Nature, vol. 204, p. 1118, 1964.

[2] 稲葉寿, 感染症の数理モデル. 培風館, 2008.

[3] D. P. Maki and M. Thompson, Mathematical Models and Applications. Prentice Hall, 1973.

[4] G. Csànyi and B. Szendröi, "Structure of a large social network," Phys. Rev. E, vol. 69, p. 036131, 2004.

[5] M. Nekovee, Y. Moreno, G.Biancni, and M.Marsili, "Theory of rumour spreading in complex social networks," Physica A, vol. 374, pp. 457-470, 2007.

[6] D. Trpevski, W. K. S. Tang, and L. Kocarev, "Model for rumour spreading over networks," Phys. Rev. E, vol. 81, p. 056102, 2010.

[7] 荻上チキ, 検証 東日本大震災の流言・デマ. 光文社新書, 2011.

2012. 03.21 update